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Database: PostInternetLiterature

Item Details: Within Post-Internet | Part 1

本文 「ポスト・インターネット」という言葉はいまだにおそろしく曖昧なものだが、それは元々アーティストのマリサ・オルソンによって最初に考案されたもので、2008年にウェブサイト「We Make Money not Art」に掲載された彼女へのインタビューによって幅広く登場するようになった。そこでの彼女の定義によると、インターネットアートとは、もはやコンピューターやインターネットに厳密に依拠したものではなく、むしろインターネットやデジタルメディアから何らかの影響を受けた全てのアートなのだという。 「私はインターネットが文化全体に与える影響に対して注意を向けることが重要だと思っているし、そしてその影響はインターネット上だけでなく、オフラインであっても存在するものであるべきだと思っている。」 インタビューの中で彼女は、その定義をネットアーティストであるガスリー・ローングランの言い回しである「Internet Aware Art」、そして、ある美術作品に関するドキュメントがそれ自体よりももっと広く拡散し、鑑賞される、という言葉と並べてみせた。より最近では2009年に、ライターのジーン・マクヒューがさらにその定義について意見を述べている。インターネットが「目新しくなくなり、より陳腐になった」ときがそうなのだと。さらに2010年には、アーティストのアーティ・ヴィアーカントは自身の論文「The Image Object Post-Internet」において、この語を「現代という時代の所産物。すなわち、ユビキタスな作家性、流通させるために注目を集めること、ネット文化による物理空間の崩壊、デジタルマテリアルの無限の再現性/変異性」と定義している。それぞれの定義や説明に多少の違いはあるとはいえ、突き詰めれば変化するインターネット社会、すなわち技術的な影響や圧迫のもとに存在している社会におけるアートの新しい定義に向けた提案だと言える。もしかすると2011年にアーティストのハーム・ヴァン・デン・ドーペルがTwitterに投稿した内容が、これらの条件についての最も良い言及なのかも知れない。 「アートにおけるインターネットのインパクトは、インターネットを扱ったアートをはるかに超えて影響を及ぼしているんじゃない?」 このようにして、アートの文脈の範囲内にある「ポスト・インターネット」という言葉は、インターネットの登場および、あらゆるニューメディアの特異性の放棄によって起こる、全ての現代美術のデジタル化と分散化を表すものとして単純に理解できる。 それはポスト・インターネットという状況への理解によるものだ。ポストインターネットにおいて、インターネット以降に生み出された全ての現代美術は、他のメディア技術や製品の特徴とともに、リゾーム状に脱中心化されたネットワークによって影響を受け、媒介されるアートだと提案できる。その最も基本的な部分は、作品というものが、映像やGIF、JPEGといった画像というかたちでドキュメンテーションされ(これには90年代以降に起きたプロ仕様のビデオカメラやデジタルカメラなどの広範な普及が大きな影響を及ぼしている)、最終的にはアーティストのウェブサイト上でのプレゼンテーション、さらには他のウェブサイト、ブログなどへの拡散を経て存在しているということである。アートは、ネットワークの特性を活かした新しいアートに変形したのである。いま存在するアートは、インターネット以前につくられたアート(全世界的なネットワークへ同化する以前のアート)か、その間ずっと、あるいはそれ以降につくられたアートのどちらかである。そういう風に言えるのは、テクノロジーとインターネットが、社会的で、文化的で、政治的で、技術的な合意の産物としてのアートを、理解し、文脈化し、キュレーションをし、高く評価し、つくり出し、評論する方法を変えてしまったからだ。すべてのアートはもう間もなく、充分に、そして完全にそれらの性質に合体するか、移行するか、それを明らかにするか、具体化するか、活用するだろう(まだなされていないとすれば)。現代美術とその参加者はデジタル化を通じて自身を再定義するのだ。 おおざっぱに上記の通り、表現のため、世界のネットワークに自身を拡散するために、そして本当にドキュメント的な目的のために、単に目的達成の手段としてデジタル化をし、インターネットに依存するアートは存在している。そして、物質的に具体化された、または実体を持たない形式の、もしくはその両方のプラットフォームと創造的/批評的に連動するアートも存在している。後者のタイプのアートを制作する中で、広範囲の作品が、その多様なレベルの自己認識と臨界状態をともに、多数の概念、美的価値観、哲学を生み出す。なぜならば、このタイプのアートの制作を実践すると、大きく発散していくからで、用語を定義することを通して何らかの明確化が求められる。ここで、レフ・マノビッチを思い出す人もいるかもしれない。彼の野心的な計画には、われわれがこれまで「ニューメディア・アート」として考えてきたアートを構成し、それを決定する5つの基本原則(数字を使った表現、モジュール性、変異性、自動操作、トランス・コーディングなどを使った、よく出来た分類と決定の方法)が含まれていた。しかし、以前は「ニューメディア・アート」として認識されてきたアートは、現在はおびただしい量の異なる解釈や定義にさらされ、それにともなってマノビッチの原則も、全体とまではいかなくとも、いくらかその用語を広める牽引力が損なわれている。今年オンラインで発表された論文はそういった懸念に焦点を当てており、アーティストであるブライアン・ケックが現在、混沌とした状態で存在するこの用語についてうまくまとめているので引用したい。 「ニューメディア・アートはデジタルであるとかオンラインであるとかいうことに限定されないし、そのことを忘れずにいることが重要だと思われる。概念や対話をものがたるニューメディアは、どのようなメディアでも表現されうる。あの理論と同時に、私はニューメディア・アートとして識別できるものに関するいくつかの問題を常に抱えていた。私にとってニューメディア・アートとは、それに関係のある現在の技術や現象を取り込んだ作品のための言葉として振る舞いがちであるし、他方、素材としてニューメディアを活用する作品を特徴付けるためにもその言葉を使っている。」 ケックの意見を通じて、より大きな基準を介してそれ自身を決定する「ニューメディア(・アート)」が持つ適応性を見ることができる。インターネットアートがオフラインとオンラインの存在の両方に属するというマリサ・オルソンの認識と同じように、特徴的な用語としての「ニューメディア(・アート)」、全ての現代アーティストの作品へのユビキタスな変換と統合によって、破壊が決定づけられた。テクノロジーとインターネットが現代アーティストの作品に本質的に広がり、媒介するにつれて、「ニューメディア」の放棄は、その特異性の放棄、そして、ポストインターネットがこれら全ての条件をカプセル化したということへの認識とともに特徴付けられているのだ。 ポスト・インターネット社会においては、アートのほとんどすべてがデジタル・ドキュメンテーションの様々な形式を通じて存在しており、インターネット上でそれらが体験され、成立することを知っている。ポスト・インターネットのアーティストが共通点を1つ持っているとすれば、彼らが意図するしないに関わらず、彼らの美術作品のすべてがデジタル化され、実体のない存在として実体の無い形式で存在しているとみなされるということだ。しかし、これらの共通点から、ある矛盾点を見いだすことができる。それは、すべてがデジタル化されているわけではなく、実体の無い美術作品が同じ意図をもつとは限らないということだ。すべての現代美術は、明確な実体を持たずオンライン上に存在する可能性もある一方で、こんな具合に均一化する可能性もある。それはつまりそれぞれのアーティストが、展示に対する矛盾した見解が浮かび上がるように、これらのプラットフォームを非常に異なる方法、目的、意図で利用するからだ。こうした矛盾を辿って行くと、変換を通してデジタル化されたアートと、最初からデジタル化されているアートの2つに行き当たる。前者にはデジタル・ドキュメンテーションを経た美術作品が含まれ、後者にはウェブサイトや画像、映像、オーディオなど、本質的に自分自身の個人的なコンピューティング・スペースの外部での展示を要求しないあらゆるメディアを含むだろう。後者を言い換えると、コンピューター上で(またはデジタル技術によって)厳密につくられた美術作品は、コンピューター(あるいはプロジェクター、モニター)での鑑賞を意図しているということである。このタイプの芸術は、そうした作品を体験することは必要なく、装飾的なものとして、それ自体、ギャラリーでの展示のように見なされる傾向にある。つまりブラウザーのウィンドウの外に出ることを選択する芸術と、デジタルで実体のないままブラウザー内にとどまることを選ぶ芸術には違いがある。この違いはまた、オンラインとオフラインの芸術モデルのはっきりとした両極性と、双方のスペースを行き来するときに起きる変換を認識することを意味する。そこでは参加者間に分断の可能性が存在している。そして、それ自体、究極的にはアーティストの思想信条に帰着する。すなわち、伝統と理想の分断である。
タイトル ポスト・インターネットのなかで|パート1
URL http://pooool.info/uncategorized/within-post-internet-part-i/

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